夫のとある朝の話
今日から数日間、夫は大事な試験があり、家を出る時間が早い。そのためいつもより早起きする。
わたしもそれに合わせて早起きすることになった。
朝起きて、弁当にご飯を詰めて冷ます。そして夫の朝ごはんの用意をする。
自分の朝ごはんはヨーグルトのみで簡単に済ます。(最近は朝に固形物を食べると胃が痛くなるので…)
ごはんを食べ終わった夫は顔を洗いにいく。その間にわたしは洗濯をまわす。さっき弁当に詰めたご飯が冷めたところで蓋をし、弁当箱をバッグに入れる。保冷剤も忘れずに。
夫は一昨日あたりからそわそわしていた。これからの仕事に関わる大事な試験なので、緊張しているらしい。
今日の朝、その緊張のあらわれが行動に見られた。いつも食べた後の食器をシンクに持ってきて水にさらしてもらうのだが、皿を乗せていたお盆までも水に浸けたのだ。
それを目の前でされたので、わたしは思わず「こら!」と大きな声を出してしまった。
朝から大きな声を出して申し訳なかったのと、お盆が汚くなっていたので洗うのにちょうど良かったと伝えた。
夫自身も、試験前の緊張で動揺しているのを自覚しているらしい。朝でぼんやりしているのも相まって予期せぬことをしてしまう。
これに似たエピソードを夫から聞いた。
夫が一人暮らしをしていたとき、朝ごはんに目玉焼きを作るため卵を割ろうとしたときのことだ。
卵を生ゴミ入れに割り入れ、殻をフライパンに入れてしまったのだ。なんという。
寝起きとはいえ自分はそのような間違いはしたことがないので感心してしまった。
でも、いけないことというよりは面白さのほうが勝ったので、朝から笑わせてもらった。
そんなことを話していたら、緊張していた夫の表情が少し緩んだ気がした。
その後夫は身支度を終えると、いつも通り足早に家を出て駅へと向かった。
ガーベラ太郎
人生初のチャイ
わたしは紅茶が飲めない。
アレルギー体質だからということではない。
単に味が苦手なのだ。
紅茶は緑茶や烏龍茶と同じ茶葉からできており、発酵具合が異なる。
緑茶は全く発酵されていない不発酵茶、烏龍茶は半発酵されていることから半発酵茶、紅茶は完全に発酵させることから発酵茶と呼ばれる。
ちなみにほうじ茶は緑茶の一種であり、茶葉を焙煎することで作られる。
緑茶と烏龍茶は好きだ。しかし紅茶、特にストレートティーが苦手である。
ミルクティーは牛乳が加えられているためかろうじて飲めるが…
(紅茶好きの方がいたら申し訳ない…そういう人もいるんだなと思っていてほしい)
先日、本を読もうと喫茶店に行った。
そのお店のメニューには『ほうじ茶豆乳チャイ(温)』というものがあった。しかも秋限定。
チャイってたしか紅茶でできていたような…
しかし、このメニューには惹かれる理由があった。それは『ほうじ茶』『豆乳』が好きであること、そして『秋限定』という期間限定のメニューだということ。
まいった。これは頼まざるを得ないじゃないか。
普段、コンビニやスーパーで売られている商品で期間限定のものを見ても心が揺れることはあまりない。
しかし、その商品が大好物ならば話は違う。
たとえばポテトチップスなら梅、わさび、ニンニク味ならばすぐに飛びついてしまう。
他には春になると増える色んなお菓子の苺味など。
今回でいえばこのチャイも『好きなものが含まれている』という条件に当てはまる。
チャイというのはインドで生まれた飲み物で、紅茶の茶葉をお湯とミルクで煮出し、砂糖とスパイスを加えたものである。
使用するスパイスにはシナモン、カルダモン、クローブ、ブラックペッパー、生姜など様々ある。(今回飲んだチャイに使われたスパイスの種類は定かではないが)
初めてチャイを飲んだ感想だが、美味しい。
ほうじ茶や豆乳というわたしが好きなものが入っているからかもしれないが、ほんのり紅茶の味がしたけれど嫌なかんじはしなかった。
むしろその紅茶の味が好きだと思った。
店員さんが「お好みで黒糖をお入れください」と言ったので、半分くらい飲んでから黒糖を加えた。それがまた美味しい。
白砂糖とは違った甘さで、コクがあり柔らかな黒糖の甘味がチャイによく合う。
初めてチャイを体験して、これから色んなチャイを飲んでみたい、もっとチャイのことを知りたいと思った。
コーヒーと同じようにチャイの素もお店で買えるので、家でも手軽に楽しめる。
チャイが少しずつ身近なものになっていったら嬉しい。
ガーベラ太郎
ほうじ茶豆乳チャイ(温)
散歩の記録〈吉祥寺編〉
先日、とある用事で吉祥寺に行った。
週末の吉祥寺は人酔いをしてしまうほど観光客でいっぱいだが、平日は空いているのでゆっくり散策できる。
吉祥寺駅南口を出て七井橋通りを通り、井の頭公園へ行くのがお決まりのルートだ。
駅から公園までの間にある、とあるビルの2階に武蔵野珈琲店という喫茶店がある。休日は常に満席であるほどの有名店である。
平日であってもお昼過ぎにはほぼ満席である。
この日わたしはお昼前に武蔵野珈琲店を訪れた。お店に入ると二人の男性店員さんが迎えてくれた。
その時はお客さんが誰もいなかったので、ほぼ貸し切り状態だった。
おしゃれな街の喫茶店の店員さんは、やはりおしゃれであった。
そのため少し緊張してしまい、「お好きな席へどうぞ」と言われたので、カウンターから直接見えない窓際の席に座った。
カフェオレを飲みながら、本を読んだりスマホを見て過ごす。街中を撮った写真の撮れ具合を確認してみるのもいい。
窓からは外の通りを歩く人たちが見える。
外国人観光客も何組か見られた。以前の吉祥寺のような観光の街に戻ってきているようで嬉しかった。
12時半頃になるとお客さんがだんだん増えてきたので、お会計を済ませて外へ出た。
店を出て南へ進むと井の頭公園がある。
通りを進むと公園へと続く階段があるのだが、その階段から見える景色が綺麗だ。
特に、ギラギラ日光が照りつける夏ではなく、優しい光が見られる秋から冬にかけての季節に公園へ行くのが好きである。
公園の池にいるアヒルボートたちはいつも不思議な表情をして佇んでいるので、いつ見ても面白い。
都会の風景に突如現れるアヒルたち、これも井の頭公園の魅力の一つだと思う。
井の頭公園は季節ごとに見える表情が変わるので何度行っても楽しい。
カメラ片手に散歩するにはうってつけの場所だ。
今回も自分が満足できる写真が撮れたので、最後にいくつか載せておく。
吉祥寺に行くといつもお決まりのコースを歩いてしまいがちだが、それでも毎回楽しめる。
都会と自然の両方を感じられる街、吉祥寺。
わたしの好きな街の一つである。
ガーベラ太郎
公園へ続く階段から見える景色
池に佇むアヒルボートたち
武蔵野珈琲店のカフェオレ
コメダ珈琲店
今わたしは、電車に乗ってやって来たとある街のカフェにいる。
周りにいるのは本を読むご老人、パソコンに向き合うサラリーマン、レポートに取り組む学生など様々だ。
わたしはこの空間が好きだ。
それぞれが別のことをしていながらも空間を共有している。
個々が好きなことを、やるべきことをこなしている。
一人だけれど一人でない、というこの雰囲気が好きなのだ。
この日は朝からとあるミッションをこなそうと、数日前から決めていたことがある。
それは、『コメダ珈琲店でモーニングを食べること』だ。
初めてコメダ珈琲店に行ったのは、社会人2年目の冬だった。それも、久々に地元に帰省した時である。
わたしが実家にいた頃は地元にコメダ珈琲店がまだ進出していなかったので、コメダ珈琲店が初めてやって来た時はさぞかし地元が沸いたことだろう。(セブンイレブンが初めてできた時もそうだった。あの時の感動は今でも忘れられない)
そういうこともあって、全国チェーン店で皆に馴染みのあるコメダ珈琲店だが、わたしにとっては特別な場所なのである。
コメダ珈琲店でのモーニングは、好きな飲み物一杯を頼むと山食パン(ハーフ)もしくはローブパン(丸い形のパン)がついてくる、というものだ。
飲み物はカフェオレを頼み、山食パンにバターとあんこのセットをつけることにした。
モーニングセットがやって来た。トーストされた山食パンにバターが塗られ、横にあんこが添えられている。そして、温かいカフェオレ。至福の朝だ…
ふと壁のほうを見てみると、可愛らしい猫の絵が素敵な額に入れられて飾られている。
座椅子は昔ながらの喫茶店にありそうな渋い赤色のカバーをしていて、花瓶に花が生けてある。
そしてテーブルや柱は暖かみを感じられる色をした木材でできている。
チェーン店なのに個人で営んでいる喫茶店にも劣らないような空間や雰囲気…すごい…
朝ごはんを食べ終わると、本を読んだ。
今までろくに本を読んで来ず、かつ活字が苦手だと思っていたわたしが、今はエッセイ本を読むことにハマっている。人生何があるか分からない。
この日は平行して読んでいた本2冊を読み終えた。『よみがえる変態』(著:星野源)と『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』だ。
詳しい感想は長くなってしまうのでここでは書かないが、どちらも面白くてすぐに読み終えてしまった。(すぐといっても数日ではないが…)
エッセイ本の面白さは、その人の生活を身近に感じられることだと思う。いわば、覗き見しているような。
自分の生活はいつの間にかパターン化してしまい、何かを選択する場面でいつも同じようなものを選んでしまっている気がする。食べるものや着るもの、テレビ番組なども。
エッセイ本ではその人の生活スタイルを知ることができるので、自分にはない発想を知れて楽しい。面白おかしいエピソードなんかは読んでいて顔がニヤついてしまうので、一人でいるときも周りを見回して誰にも見られていないことを確認する。
また、一方で「分かる!あるある!」と共感できる部分もあったりして、一人で頷きながら読んでいることもある。
コメダ珈琲店を出てからは本屋に行き、帯や表紙で気になった本を3冊購入した。
それから軽く昼食を済ませ、今度はわたしお馴染みの大好きなドトールにやって来て、この文章を書いているのである。(コメダで書いてたんじゃないのかい)
ドトールで他店のカフェの良さを語ってしまった。ごめん、ドトール… 別の記事で少し触れてあるので許してくれ~。
いつかドトールでまるまる一つの記事を書くよ、約束だ。
―さて、今はカフェにいるわけだが、お昼過ぎのカフェとエッセイ本は似ている気がする。
それは、他の人の生活を感じられるということだ。
もちろんエッセイ本の内容ほど詳しくは分からないが、誰かが好きなことに没頭していたり、一生懸命になっている姿を見ることができるのがいい。
ただ、ジロジロ見られるのは相手にとって不快だと思うので、目線は本やスマホに向け、その場の雰囲気を感じるようにしている。(誤解がないように一応書いておく笑)
これが、わたしがカフェや喫茶店が好きな理由の一つだ。
他の理由についても、また今度書こうかな。
* * * * * * * * *
今回は短くまとめようと思ったが、結局長々と書いてしまった。
"好き"を言葉で表すのって難しい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
ガーベラ太郎
大好物
夫は肉料理が好きだ。
特にハンバーグと唐揚げ。子どものように目を輝かせて喜ぶ。他の料理を出した時と温度差があって少し複雑だが…
でも美味しく食べてくれるから嬉しい。
わたしの両親は共働きで料理は主に母がしていたが、仕事で忙しいため手間のかかる揚げ物やハンバーグなどはあまり作らなかった。
そのせいか、わたしが学生になって一人暮らしをしてからも唐揚げやハンバーグを頻繁に食べなかったし、たまに食べたくなったらスーパーのお惣菜を買っていた。そのほうが油の処理など面倒くさくなかったからだ。
一方、夫は小さい頃からおかあさんが唐揚げやハンバーグを手作りしてくれたらしく、大人になった今も食べるなら手作りがいいらしい。
それも、わたしが家にいない日の夜、夫は仕事終わりで疲れているのにハンバーグを作ったという。
しかも、19時に帰ってきて作り終わりが21時。2時間かけて作ったらしい。挽き肉を大量に買ってきてたくさん種を作り、全部に火を通すまでにそれくらい時間がかかってしまったようだ。(ハンバーグを作るためなら疲れがどこかに行ってしまうのかしら…)
余ったハンバーグは次の日の朝食に。朝からハンバーグを食べられるとなるとすごく嬉しいようだ。
結婚してからはわたしが主に料理をしている。そのせいか作る料理は自分好みのものが多い。
味噌汁やスープにニンジンを入れるのが好きなのだが、夫はニンジンが苦手(特に加熱したもの。生のほうが食べられるらしい)なので、料理の中にニンジンを見つけるとシュンとした表情で見つめてくる。
栄養だから食べなさい、と子どもに諭すように言うと、夫は「はーい…」と言ってなんやかんや残さずに全部食べてくれる。
唐揚げやハンバーグはたまに食べられればいいかなと思っていたので、初めのうちはあまり食卓に出していなかった。
だが、時折食べたいと思ってスーパーで買ってきたものを出すと、美味しいことには変わりないが、夫曰く出来立てを食べられるため手作りのほうが嬉しいらしい。
しかも、手作りにこだわる一番の理由が安くてたくさん食べられるから、だという。
普段の生活の中でほぼこだわりの無い夫が手作りにこだわるのにはそんな理由があったのか…と少し驚いた。
しかし、手間はかかるけれど安くたくさん食べられるのは、節約にもなるし満足感も増すし一石二鳥!(打算的な考えで少し恥ずかしい…)
しかも、自分が今まで作らなかった料理を作るようになるのは料理の幅も広がって楽しいかもと思った。
それからはハンバーグや揚げ物など夫の好きなものを定期的に作るようになった。
何度か作って作業に慣れてくると、徐々に手間を感じなくなっていた。
むしろ食べてくれる夫の反応が嬉しくて頑張って作ろう!と想う気持ちのほうが大きくなっていた。(ノロケ話みたいになってすみません)
昨日も夜にハンバーグを作った。
晩ご飯の仕度を終え、お昼寝している夫を起こしに行った。が、声をかけてもなかなか起きない。
どうしたものか…せっかく今夜はハンバーグなのに。お腹も減ったし早く食べたい。
しかしぐっすり眠っているところ叩き起こす訳にもいかないので、夫の耳元で小さく「今日の晩ご飯はハンバーグですよ…」とささやいてみた。
するとさっきまで反応がなかった夫がパチッと目を開け、スッと体を起こして「やった~、食べよ食べよ」と言いリビングへと向かって行った。思い出すだけでも面白い光景だった。
ハンバーグの力、恐るべし。これ何か他に使えないかな、と悪い考えがよぎってしまったことは、夫には内緒にしておく。
ガーベラ太郎
生活はつづく
男性も読んでくださるかもしれないが、これは書かせてほしい。
生理痛がつらい。
特に今回はいつもよりもつらい。何がつらいって、腰痛に加えて偏頭痛もやってきたことだ。
偏頭痛が来たのはスマホやテレビを見すぎたせいでもあるが、見すぎたと言っても程度はいつもと変わらなかった。
生理の時はいつも通りの生活ができない。
昨日は偏頭痛で変な時間に昼寝をしてしまったせいで夜に眠れなくなり、結局寝たのは朝方だった。
いつもならお昼までぶっ通しで眠れるのに、今回は途中二度も目が覚めてしまった。
しかも毎度嫌な夢を見たせいで起きてしまうのだ。
起きると具合も悪い。頭がぐわんぐわんするし、腰が痛いし、腹も痛い。
顔を洗おうと洗面所に行くと、鏡に映った自分の顔が真っ青だった。これが貧血か。眠れていないので目のクマもひどい。
昨日は体調がすぐれずお風呂を軽く済ましてしまったので髪の毛もボサボサ。
大人として最低な見た目をしている…ましてや一応女なのに…と少し自信を無くしてしまった。
今日の夜は久々に外食でもするか!と夫と話していたのだが、この調子では無理そうだ。
お寿司の予定だったので、体調不良になりめちゃくちゃ悔しい。
(あ~、サーモンとつぶ貝食べたかったぁ…)
お昼にそのことを連絡したら、「オッケー。夜は俺が作ろうか?」と言ってくれた。
働いている夫にさすがに料理までしてもらうのは申し訳なかったので、「今のところ大丈夫そう。つらかったら直前にまた頼むかも…」と返信した。
体調は悪いけれど、幸い食欲はある。ラッキー!
お昼は冷凍うどんをチンした。味付けはバターとめんつゆという悪魔的な組み合わせで。上に小ネギと天かすも乗せたら最強うどんの完成だ。
お腹が痛かったけど、うどんは柔らかくて食べやすかった。あっという間に食べ終えてしまった。
実は最近体調が悪くない日でも朝は胃が弱く、白米を食べると胃痛がするようになった。白米大好きなわたしからしたら一大事だった。朝に米が食べられないだと…?楽しみが一つ奪われた。
それから朝は味噌汁やヨーグルト、もしくはうどんを食べるようになった。どれも消化に良いものばかり。まだ二十代だけれど、老いを感じ始めたのだった。
二十代って一般的にまだ若者だよな?それじゃあ三十、四十になったらわたしのからだはどうなってしまうんだ?
すでに胃腸の不調を抱え、年を取ったらシミやシワも増えてくる。からだの内と外がどんどん衰えていくだろう。運動も苦手だから他の人よりも老化が早いのではないか…考えるだけで恐ろしい。
でも年を取るのは嫌なことばかりではない。良いこともあるぞ!
からだの内臓などの物理的な内側でなく精神的な部分が昔よりも楽になった。
大人になると自由になるからかもしれない。
小さい頃はこうしなきゃ、ああしなきゃと自分を縛っていたこともあったが、大人になると色々と諦めもつき、これでいいかと思えるようになった。
昔は理想が高かったわたしにとって「まあいっか」は魔法の言葉なのだ。
気負わなくても何とかなる。誰かと比べなくていい。しあわせは人それぞれだし。そう考えられるようになった。(今でも自分に言い聞かせている部分はあるが)
―なんだか自己啓発みたいになりかけてるぞ。
話は少し戻るが、昼食後も体調がすぐれなかったため洗濯を明日に延ばそうと思い、夫に明日休みか聞いた。仕事ならばYシャツを洗う必要があるからだ。
すると「明日は休みよ~」と返信があったため、良かったと一安心。
腹痛と戦っていたわたしは夫に「分かった~。今トイレお籠り中💩」と勢いで謎のメッセージを送ってみたが、返信なし。そりゃ仕事中にこんなラインもらって反応できないよな。こんなんわたしだって既読(もしくは未読)スルーするわと思った。ごめんて。
結局なにが言いたいかというと、体調管理は大人になっても大切だということだ。
生理の体調不良はきっと女性ホルモンが関係しているし、それは普段の食事や睡眠が重要になってくる。
朝の胃痛も、夜中に枝豆とか食べてるから胃腸が休まっていなかったのだろう。一応原因は分かっているのだ。うん。
身体的にも精神的にも健康でいることって意外と難しい。それは大人になってからもずっと課題だ。
だからこそ、自分だけでなく夫の健康面もサポートしていきたい。
夫はこれから新しい環境で働く。学ぶことが多いし、環境に慣れるまでも大変だと思う。わたしもそうだったからだ。
だから夫よ、健康のために食事はご飯ではなく野菜から食べてくれ。血糖値を急激に上げないために。太らないために。
お徳用のブラックサンダーを2日で食べるという暴挙はやめてくれ。コーヒーに大量の砂糖をいれるのは控えてくれ。太らないために。
…コホン。自分のことを棚に上げて勢いで色々愚痴ってしまった。ごめん、夫。
うるさいのは分かってるけど、健康で長生きしてほしいのだ。
わたしも苦手な運動がんばるよ、健康のために。
昨日読んだ星野源の本にも書いていた。疲労で倒れたり、病気になってしまったと。
仕事優先の彼は日々の生活を後回しにしていた。倒れてしまったのはそのせいでもあったと書いていた。
だから何気ない生活というのは大切なのだ。
わたしはまあまあ家事が好きなので(皿洗いは別)、生活のサポートをがんばりたいと思っている。
そして気づけば午後3時。
昼食後に薬を飲んだがまったく効かない。お腹と腰が割れそう。頭もぼーっとする。
暑いのでエアコンをつけているが、寒いと痛みが悪化するのでタオルケットにくるまっている。
どうしたらよいものか。
もう少しで晩ごはんの支度の時間だ。それまで少し寝るか。
今日は前にカルディで見つけた唐揚げ粉を使って鶏むね肉を揚げようと思っている。パッケージからして絶対美味しいんだよな…
健康に気をつける話をしておきながら揚げ物作る宣言をしてしまった。
でも食欲があるだけいいや、と思うことにした。(こら)
明日はもう10月。秋も近づいてきた。
今年もあと少し。年末が近づいてきて仕事も忙しくなってくる頃だ。
どうかみなさん、美味しいものを食べてご自愛ください。せっかく食欲の秋なので。
この前サンマを食べたがめちゃくちゃ美味しかった。大根下ろしを用意しなかったのを後悔した。みなさんはお忘れなく。
あと、ポン酢をかけるのオススメです。
そろそろ寝るので、このあたりでお開きとしよう。
ロイホでスイーツを食べながらするような会話ができた気分。(わたしが考えた言葉ではなく、拝借した。こういう言葉のチョイス好きだ)
でもよく考えたらスイーツを食べながら生理の話はしないか、と頭の中でツッコむ。
アメトークの持ち込み企画を観つつ寝ることにします。
それでは、またいつか。
ガーベラ太郎
夜更かしとエッセイ本
深夜にブログを書き始めている。
いや、深夜というよりもう朝か。
朝5時。外はうっすら明るくなってきた。
明日(もう今日になっているが)は夫がいつもより早く出勤するので早起きなければいけないのに。
寝れるように努力はした。寝ようとすると余計に眠れなくなると聞いたので、無理しない程度に(?)がんばった。
眠れない時に眠くなるまでスマホで動画を観るのは逆効果だ。
スマホ画面からのブルーライトが白色光と同じような働きをし、頭が今はお昼だと勘違いしてしまうかららしい。
本当はジャック・オ・蘭たんのテイルズ・オブ・ジ・アビスのゲーム実況の続きを観たかったのだが、前記の理由でユーチューブを観るのは諦めた。
そこで何をしたかというと、本を読むことにした。
最近わたしにエッセイ本ブームが来ようとしている。(まだ来てないんかい)
キッカケは小谷実由さん(通称おみゆちゃん)の『隙間時間』という本だ。
日常を書きまとめた本で、生活を覗き見しているようで面白い。何より言葉遣いや世界観が好きでどんどん引き込まれていった。
おみゆちゃんはモデルさんで、オシャレで綺麗で明るい女の子であり、わたしとは正反対だ。しかし、羨ましいとは思うが妬ましいというマイナスな気持ちは一切ない。むしろ憧れという言葉がぴったりだろう。
おみゆちゃんに直接会えるイベントがあり、憧れから一度会ってみたい!と思い行ったことがある。実際に会ってみると「同じ世界の人ですか?」というくらい実物は写真の何倍も綺麗で、普段オシャレにあまり力を入れていないわたしが会いに行って申し訳なかったという体験をした。
このことから推しは遠くから応援しようと決めたのだった。(切ない…)
…話は逸れたが、他人の生活を覗き見るのは楽しい。自分とは違う、『その人にとって"普通の"暮らし』を知ることができるからだ。
おみゆちゃんはモデルさんだが、日々の生活はいい意味で普通だった。
ちょっぴり早起きして有意義に過ごしたこと、蒸籠ブーム、旅行ロスの話など、どれもわたしにとっては新鮮で、でも身近にもありそうでワクワクして読んだ。
そこでふと気がつく。
わたし、本読めてるじゃん、と。
活字が苦手だと思っていたのに、本を読めているぞ。
そこでエッセイ本なら読めるのでは、と思い気になっていたものを読んでみることにした。
まずは星野源の『そして生活はつづく』と『よみがえる変態』をAmazonでポチり。
そして今日届いたものを深夜読んでいたのである。しかもSpotifyで「読書」と検索して一番上に出てきたアルバムを流しながら。
こういうのは雰囲気が大事なので。(こら)
しかし結構読み進めても一向に眠くならない。おかしいな。
…思い出した、変な時間に昼寝(というより夜寝)したせいだ。
それは眠れなくて当たり前だわ。
でもあれは仕方なかった。偏頭痛で寝ずにはいられなかったのだから。
少し我慢して丁度いい時間になったら寝ようと思ったが、ソファに横になったらいつの間にか寝ていた。そして飲み会だった夫が帰って来たタイミングで目が覚めた。気づけば3時間も昼寝していた。(寝すぎ)
そんなこんなでもう朝の6時。
夫の朝ごはんを用意すること忘れてないよね?はい、忘れてません。
でも、ごめん夫よ。今日はもう起きられないかもしれない。今日は金曜日で、週一番の頑張りどころなのに朝ごはんを用意してあげられないかもしれない。
―夜寝、ゼッタイだめ。
そんな罪悪感を感じつつ、やっときてくれた眠気を喜びながら、エアコンの効いた部屋でスヤスヤ眠るのであった。
(今回の文章が『ですます調』でないのはエッセイっぽくしたかったからなのはここだけの話。)
ガーベラ太郎